Buongiorno ! 平成元年からイタリアのミラノに住んでいるtakaoです。生のイタリア情報をブログで発信しています。
私の住んでいるミラノは、イタリアの北に位置するので、北部に関してはわりと詳しいのですが、ここ何年か南イタリアにも仕事で行く機会が増え、だいぶ詳しくなってきました。今日はとても印象に残っている南イタリアの街、マテーラを紹介したいと思います。

このマテーラは1993年にイタリアでは六番目、南イタリアでは初めて世界遺産に登録されました。文化的景観という観点からは初めての登録になりました。
マテーラはイタリアの中ではかなり小さなバジリカータ州にあります。バジリカータ州はミラノのあるロンバルディア州の4割ほどの面積の中に17分の1、約56万人が住んでいます。位置的にはイタリアをブーツで例えると、土踏まずのあマテーラはイタリアの中ではかなり小さな州バジリカータにあります。ミラノのあるロンバルディア州の4割ほどの面積の中に17分の1、約10万人が住んでいます。位置的にはイタリアをブーツで例えると、土踏まずのあたりにあります。私たちはプーリア州の州都バーリで飛行機を降り、車を借りてこのマテーラに向かいました。車で1時間ほどの道のりです。

このマテーラの印象的なところは、石灰岩でできた丘に洞窟住居が作られ、大昔からそこに住民が住んでいた、ということです。街の裏側に広がるグラヴィーナ渓谷は、風雨の浸食によって多くの洞窟ができていました。そこに人々が住み始めたのがこの洞窟住居の始まりです。この洞窟住居のことをサッシ(イタリア語で石、岩を意味する)と呼びます。このサッシを少し小高い現在の街の中心から見下ろす景色は圧巻です。
この一帯の初めの住居は旧石器時代にまで遡るそうです。世歴8世紀から13世紀の間、イスラム勢力を恐れた修道士が、東方からこの地にやってきました。その後15、16世紀にはオスマン帝国から逃れたアルバニア人やセルビア人が移住してきました。その後マテーラは1663年にバジリカータの州都になり繁栄しましたが、1806年になって州都がポテンツァに移動したことをきっかけに、一時衰退しました。しかし20世紀前半からまた人口が増え始め、本来家畜が住んでいた場所も住居として使われるようになり、衛生状態も悪く、病気が増えてゆきました。当時の乳児の死亡率は50%にまで達したそうです。そのため、1950年代にこの場所から退去するように行政からの指示が出たため、その後は誰も住めなくなりました。

それからしばらくして、このユニークな歴史的建造物が見直され、世界文化遺産に指定されたのを期に、多くの観光客が集まるようになり、サッシにもまた人が住み始めるようになりました。私の行った昨年2019年には欧州文化首都に選ばれていました。
現在はヨーロッパ都市文明の名の下に、マテーラに対する再評価がなされ、持続可能性、失われたアイデンティティーの再獲得という観点からマテーラは再び脚光を浴びるようになり、この景観を見に多くの観光客も集まってきています。
南イタリアのこの一帯は、白い家が多く見られます。空港のあるバーリ県には、日本でも有名な三角屋根の住居トゥルッリのあるアルベロベッロ、海岸線が神秘的な、以前ブログでも紹介をしたポリニャーノ・ア・マーレなど見る場所もたくさんあります。
以前、お金がないために作られたこの洞窟住居は現在見直され、その価値もかなり高まってきています。現在このサッシの中にはホテルもあります。イタリアの有名観光地に飽きてきたらこう言った場所に行ってみるのも良いですね。
Ciao!