Buongiorno ! takaoです。
昨日、残念ながらアルゼンチンのサッカー代表選手で、ナポリでも長年プレーしていたディエゴ・アルマンド・マラドーナが60歳の若さでなくなりました。
コロナでロックダウン中のミラノですが、イタリアの今朝のニュースでは、彼のためにたくさんの時間が捧げられ、イタリア人のフェースブックやインスタグラムではたくさんの彼の写真が載せられています。彼の現役時代は、ブラジル代表のペレと共に20世紀を代表するサッカープレイヤーとされています。
私はサッカーといえば別に特に応援するチームもなく、気になるのはW杯くらいですが、マラドーナに関しては、私のこれまでのイタリア生活の思い出の中で、かなり大きなウェートを占めています。
というのも、彼は1984年にバルセローナからナポリに移籍してきました。ナポリは彼のプレーしていた86/87年と89/90年にスクデットを取っていますが(セリエA優勝)、その前にも後にもナポリの優勝はありません。ナポリが最後に優勝した89年、これは私がミラノにやってきた年です。
その次の年にはサッカーのワールドカップ、イタリア90が開催され、開催国であるイタリアではとても盛り上がりました。まだこの時期、日本のチームはワールドカップに出場したことがなく、ワールドカップってこんなに盛り上がるんだ、とびっくり。イタリアがゴールを入れると、それまで静かだった周りの家からは大きな歓声と拍手が上がり、イタリアが勝つと外では車のクラクションが鳴り渡り、イタリアの国旗を持った若者があちこちでハコ乗りをしながら運転していました。私のサッカーのワールドカップはここから始まったのです。その後、日本もワールドカップに参加する様になりましたが、2000年台の初め、インターネットがなかった頃までは、私は日本の情報がほとんどなく浦島太郎状態で、日本人にも10年近くほとんど会っていなかったので、かなり日本語もおかしなことになっていました。その頃の私をご存知の方はよく知っていると思いますが…笑 その頃は日本のサッカー選手の名前さえ知らなかったので、やはり知っている選手ばかり出場しているイタリアを応援していました。
この90年のワールドカップは日本でもプレーをしたスキッラーチが得点王になり、主催国であるイタリアは、準決勝でマラドーナがプレーするアルゼンチンに負け、ドイツが1位、アルゼンチンが2位、そしてイタリアは3位に終わりました。それから少しずれてミラノのチーム、ミランが三連覇しているので、ミラノに住み始めたばかりの私にとっては、この時期のイタリアのサッカーは、今でも私にとってとても大きなインパクトを与えています。また、その頃がとても懐かしくもあります。
話をマラドーナに戻します。マラドーナのイタリアでのサッカー人生の後半は、麻薬や脱税など、多くの問題が出てきて、彼はイタリアを去って行きました。
マラドーナのキャラクターとナポリの強烈なイメージ、ちょっと悪く、ある意味いい加減、そしてダークなイメージは、ナポリとマラドーナをすごくマッチングさせていて、今でもナポリではマラドーナは神のように崇められ、彼の背負っていた10番はナポリの唯一の永久欠番になっています。
彼ともう一人ナポリで多くのファンを持つシンガーソングライター、ピーノ・ダニエレは59歳で、マラドーナも60歳で心臓発作でな亡くなりました。マラドーナがイタリアからいなくなって、25年近く、ピーノ・ダニエレが亡くなってから5年、二人とも今でも多くのナポリ人に慕われていて、街の多くの場所で彼らの写真や人形、それに壁に描かれた絵などが残っています。
波乱万丈の人生を送ったマラドーナ、安らかに眠ってもらいたいと思います。
Ciao !