先日のYoutubeでもアップしましたが、12月の初めに実に32年ぶりにジェノヴァに行って、このブログのブロガーの一人でジェノヴァ県出身のラウラに案内をしてもらったのですが、日本では「母を訪ねて3千里」がとても有名だ、という話を彼女にしたら今回のブログを書いてくれました。
ちなみに「母を訪ねて3千里」は、イタリア人作家エドモンド・デ・アミーチス(Edmondo De Amicis)の著作「Cuore」の中の「Maggio」の一話「アペニン山脈からアンデス山脈まで」(Dagli Appennini alle Ande)で紹介されています。
ブログ Laura
Cari amici,
ご存知のように、イタリアと日本はかなり異なった国同士ですが、食べものに対する情熱、製造業の品の高さ、人口に占める高齢者の割合など、いくつか共通することがあります。そしてもう一つの共通点はイタリアの作家エドモンド・デ・アミーチス(Edmondo De Amicis)です!
彼は1800年代後半に活動したイタリアの作家で、世界の児童文学で最も人気のある本の1つ「クオーレ」の著者として知られています。この本は各章が3つに構成されており、それぞれ特定の役割を持っています。
物語は、一人の少年エンリコ・ボッティーニの日記のなかで、1881年から82年の彼のクラスメイトの様子やクラスで起こったエピソードについて描かれています。
物語の中には家族が彼の日記を読み、家族が感じた彼の成長に役立つための倫理的そして教育学的なアドバイスが点在しています。また、エンリコの教師が毎月紹介する9つの物語もつけくわえられ、しばしば劇的な結末で終わってしまう英雄的で愛国的な行動をとるイタリアの子供たちの冒険についても描かれています。
母を訪ねて三千里
1976年、日本アニメーションは、本「クオーレ」に含まれる物語の最も有名な部分をアニメシリーズ「母をたずねて三千里」 (イタリアタイトル”Marco”もしくは”Marco dagli Appenninialle Ande”)として制作しました。
「マルコ」(Marcoもしくは”dagli Appenninialle Ande”
元のタイトルは「アペニン山脈からアンデスまで」(Dagli Appennini alle Ande)といいます。仕事を探しにアルゼンチン北部に移住していた母親を探して3,000kmを旅した少年の物語です。
何ヶ月もの間、母からの連絡がとだえ、小さなマルコはブエノスアイレスに行って彼女を探すことにしました。
彼はジェノヴァから出発する船に密かに乗り込み、発見されましたが、アメリカで一旗上げようとしていたイタリア移民のおかげでオレンジの木枠に隠れアルゼンチンに到着することができました。
しかし、母が住んでいるはずの住所に彼女はおらず、母親を探し大変なアルゼンチンを旅を始めました。
マルコが母を見つけますが、彼女がたいへんな病気にかかっていましたが、幸いなことに母は手術を受け一命をとりとめました。
マルコと彼の母親は再び抱きしめることができたのです。
私がまだ子供だった頃、私の好きな登場人物は、主人公のエンリコが通っていた学校の一人先生の「赤ペン先生」でした。
彼女は赤い羽で飾られた帽子被った若い先生で、いつも元気に愛情を持って生徒に接し、一番貧しい生徒には薬をもってきては与え、笑顔で生徒たちを撫でているという人物で描かれていました。
一方、私の先生はというと… 決して綺麗とは言えず、厳しく、フレンドリーでもなければ愛情深い先生でもありませんでした…
「赤いペン先生」は実在した人物で、彼女が住んでいたトリノの住居の壁にはプレートが貼られ、今でも彼女を思いだすことができます。
Eugenia Barruero
この家には
エドモンド・デ・アミーチスの
本「クオーレ」に記載された
「赤ペン先生」が住んでいた
彼女が1957年に亡くなったとき、彼女はイタリアで最も有名な週刊新聞、ラ・ドメニカ・デル・コリエレ(La Domenica Del Corriere)の表紙に掲載されました。
あなたたちの学校の先生はどうでしたか?
A presto amici!
ジェノバの動画も是非見てください!