注>日本ではヴァレンタインデーは女性から男性にプレゼントをすることが多いですが、本来は恋人、夫婦でお互いに祝うお祭りです。
ブログ Francesca
Carissimi Buongiorno!
あともう少し、正確に言うと2月14日はヴァレンタインデーです。これはイタリア全体で祝われるものですが、特に私の地元ウーディネではとても重要なお祝いの日とされています。
ウーディネでは、街を訪れる人や住民に娯楽や詩、その他の催し物を通して魅惑的なウーディネの雰囲気を味わってもらおうと、ヴァレンタインの時期に3日も続くイベントが開催されます。
このお祭りの歴史はとても古く、
1355年、バレンチニス伯爵家が聖ヴァレンティーノを祀った教会を建てることを決めました。 それはおそらく当時疫病に襲われていた街を保護するためだったのでしょう。
1513年2月14日には聖ヴァレンティーノの信者会が設立されました。
1545年にマニン伯爵が土地を寄付し、その数年後ボルゴ・プラッキゥーゾ地区にある現在の教会が建てられました。
1900年代初頭まで、マニン家は毎年ヴァレンタインデーにフラタニティ(宗教的機能をはじめとし、様々な社会的機能を発揮した連帯組織)から祝福に使う小さなパンと蝋燭を受け取っていました。これはキリスト教徒にとってとても重要ななことです。
1664年、ヴェネツィアのトンマーゾ・カンディドは、聖バレンティーノの名前で洗礼を受けた聖遺物(キリスト教の教派、カトリック教会において、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、また諸聖人の遺骸や遺品をいう)を、聖バレンティーノ教会に寄贈し、それは現在も残っています。
1689年以降、聖人を称えるお祝がボルゴ・プラッキゥーゾ地区とサン・バレンティーノ教会で行われてきました。聖遺物は崇拝され、イタリア北東部ではよく知られている聖ヴァレンティーの鍵とコラーズが配布されています。
「コラーズ」は数字の8の形をしたベネデッティ・パン(祝福に使う小さなパンで)で、それを支給するということは、聖餐式の残りのパンを貧しい人々に分配する、という教会の昔からの慣習に由来しています。
一方、鍵にまつわる伝統は、過去にこれらの鍵を病人の胸に置くと病気の回復に役立つと考えられていた、ということに由来しています。
現在このお祭りは、歴史的中心部の通りやその他の場所で開催されています。ボルゴ・プラッキューゾ地区は真っ赤に飾りをつけられ、ロミオとジュリエットの物語のインスピレーションとなったルチーナ・サヴォルニャンとルイージ・ダ・ポルトの禁じられた愛を再現するため、ロマンティックな舞台が設けられその演劇を見ることができます。(今年はコロナの関係で先送りになるかもしれません)
ヴァレンタインの期間、ショーウィンドーは多くの赤いハートの風船とサヴォルニャン家の家紋の印刷された買い物袋でいっぱいになります。
この時期ウーディネではコンサート、ライブ、演劇などさまざまなイベント、地元を代表する物品、お菓子やその他の食べ物や飲み物の屋台が出ています。また、絵のように美しいキャンドル・ライトで照らされ心に残るディナーを体験することができるレストラン、建物、とてもおしゃれでトレンディーなバーやクラブで行われるパーティーなどを楽しむことができます。
ちょっと動いてみたい人には「ボルゴ・ソーレ」と「アミーチ・デル・パルコ・ボターニコ」の2つの団体がコルマル公園周辺でルチーナとルイージに敬意を表した「ロマンチックな散歩」を開催しています。
Alla prossima!