星の形をした要塞軍事都市パルマノーヴァ イタリア東北部ユネスコ世界遺産

ブログ Francesca

Buongiorno ! takaoです。平成元年からイタリアのミラノに住んでいます。

それではフリウリのユネスコ世界遺産の街への旅を続けましょう。今日は、みなさんをパルマノーヴァ(Palmanova/チッタ・ステッラータにお連れします。

パルマノーヴァは、ナポレオン帝国の崩壊後、1593年10月7日に誕生し、1848年に一度、ズッキ将軍に率いられた市民がオーストリア人に立ち向かい、街を支配しオーストリア人に長い包囲を受けた時期以外、1866年まで多民族国家ハプスブルク帝国の一部に戻りました。

1593年からヴェネツィア人によって建てられた「星型の街」(la città stellata)は初め「ヤシ」(Palma)と呼ばれており、その後ナポレオンによって「新星」(nova)が「ヤシ」の後につけられたと考えられています。それは理想的な都市の概念であるルネッサンスの哲学的で建設的な原則を反映していました。

パルマノーヴァの街の誕生と、その特別な形に関係する2つの言い伝えがあります。

最初の言い伝えは、カモーティオと呼ばれる羊飼いが、ある日、現在街がある場所で眠りに落ち、将来その地域に建てられるであろう壮大な星型の要塞を夢見たというものです。彼はその夢を友達に話しましたが、友達はそれを信じず、彼が酔っているとからかいました。

もう一つの言い伝えは、15人のヴェネツィア政府の責任者が要塞を作る任務を負いました。突然雷雨に巻き込まれ、礼拝堂に避難しました。そこで、蜘蛛の巣が彼らの前に落ち、政府の責任者達はその形にアイデアを得て利用することにしました。蜘蛛は攻撃と防御のために蜘蛛の巣を作るので、要塞都市にこんなに適した形はありません。

1600年代の街の地図

一方実話として、ヴェネツィア政府が、どのようにトルコとオーストリアの侵略からヴェネツィアを守る都市要塞を建設したかったか、ということを物語っています。

彼らは偉大な建築家でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチにも声をかけていたようで、その事実については歴史的にも検証されています。しかし、トスカーナの天才(レオナルド・ダ・ヴィンチ)は、ミラノの他のプロジェクトで忙しく、その仕事を引き受けることを拒否せざるを得ませんでした。しかし、パルマノーヴァの特徴的な形は、彼のプロジェクトの中の1つのアイディアで、その後他の人たちによって完成されたという可能性もあります。

9個のうちの一つの街の入り口

この時代の多くの理論家によると、完璧な都市建設のプロジェクトは以下の要素を持ち合わせていなければなりませんでした。幾何学的な形、哲学的な基準、合理的且つ不合理的な要素。

この要塞の位置が地平線より下にあるということは、難攻不落の要塞の要素を与えました。

その奇妙なまでの完璧さそしてこの要塞の建設をする原因となった戦争は、最終的にはヴェネツィア人をそこに住ませる、ということを思いとどまらせました。

そのため、政府は悪人や囚人をここに収容することを余儀なくされました。

サンティッシモ レデントーレ教会 (Chiesa del Santissimo Redentore)

どの歴史が正確かというのは別にして、それはヴェネツィア時代にヴェネツィア人によって建てられた都市防衛の最良の例の1つであり続けています。

Alla prossima!

Francesca Moviaのブログ

最新情報をチェックしよう!